僕たち放射線科医は、読影レポート(画像診断報告書)を依頼医に向けて書いています。
決して患者さんに向けて書いているわけではありません。
これは、『画像は検査の1つに過ぎない』という意識があるからです。
主治医は画像検査も踏まえた上で、総合的に診断しています。
最近、読影レポートを患者さんに手渡しする病院が増えています。
見落としを防ぐという意味ではよいと思いますが、患者さんが自分の病気に関する所見を見てもおそらく意味が分からず、無用な誤解を生むのではないかと個人的には心配しています。
CTやMRIといった画像検査は検査の1つに過ぎない
CTやMRIというと確信度が強い検査のように感じてしまいがちですが、あくまで検査の1つに過ぎません。
採血検査、心電図検査、内視鏡検査、脳波検査などと同じ立ち位置です。
もちろん、心電図検査であれば心臓、内視鏡検査であれば食道+胃+十二指腸もしくは大腸というように、他の検査は比較的限られた臓器を対象としています。
それに対し、例えば胸腹部CTであれば胸~骨盤まで、臓器といては肺や大血管、肝臓、膵臓など多くの臓器を対象としています。
体の内部を見ることができ、得られる情報としてはある意味多いのは事実です。
けれど、あくまで主治医の診断を助ける検査の1つである、という事実にかわりありません。
画像検査だけで診断はできません
画像検査だけで断定できる疾患は、意外と少ないです。
例えば、『腹痛精査』で撮影したCTに『胆嚢結石』と『尿管結石』が写っていた場合、どちらが症状の原因なのか画像だけでは判別できません。
『胆石発作を起こし腹痛の原因となる胆嚢結石』も、『無症候性の胆嚢結石』もあります。
『水腎症を起こし腹痛~腰痛の原因となる尿管結石』も、『無症候性の尿管結石』もあるからです。

全ての病変が画像に写っているわけではない。
画像に病変が必ず写っているわけではない、ということも忘れてはいけません。
『読影(影を読む)』という言葉が表しているように、僕たちが見ているのは病変そのものではありません。
病変の影を見ているに過ぎないです。
そのため、ちょっとしたことで病変が隠れて見えなくなってしまうことは多々あります。
例えば、上行結腸に多数の憩室がある患者さんが血便で運ばれてきた場合、まず考えるのは憩室出血です。
けれど、ダイナミック造影CTを行ってもextravasationが見つからない、ということがあります。
常に出血しているわけではなく、また凝血塊によって出血点が一時的に止血されていることもあるからです。
その場合、画像所見としては『出血点は指摘できない』と書かざるを得ませんが、主治医は下部内視鏡検査を行うでしょう。
画像で病変が見えていなくても、臨床的な判断で患者さんの治療が進むこともあります。
主治医は総合的に診断している
主治医が患者さんを最終的に診断するには、臨床情報が欠かせません。
現病歴や既往歴、家族歴、身体所見などです。
『臨床情報 + 各種検査 = 最終診断』 となります。
具体例を出すと、すりガラス影であれ浸潤影であれ、『肺陰影』というだけでは様々な疾患が浮かび上がります。
ここに、
『高齢者、寝たきり』という臨床情報が加わると、『誤嚥性肺炎』を考えます。
『家にいるときだけ呼吸苦が出る』という臨床情報が加わると、『(夏型)過敏性肺臓炎』を考えます。
『気胸治療後』という既往歴が加わると、『再膨張性肺水腫』を考えます。
このように、臨床情報が合わさって初めて診断に行き着くことが多いです。
読影レポート(画像診断報告書)は、依頼医の診断を助けるため、依頼医に向けて書いています。
まとめ
読影レポートは依頼医に向けて書いている、という意識は常に持っておく必要があります。
画像検査は数ある検査の1つに過ぎないからです。
ただ、患者さんに読影レポートを渡す病院が増えており、直接患者さんの目に留まる機会も増えています。
もし自分の努めている病院がそうした方針になった場合、誤解を防ぐためにも書き方を変えるなど工夫する必要があります。
